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本記事は「はぐれ学生Advent Calendar 2013」 http://www.adventar.org/calendars/131 という企画のひとつです。
本企画では「はぐれ学生」とは、大学などの学校を中退、休学、留年した方、また、仮面浪人やちょっと変わった進路
を選んだ方などを指すことにします。



第0章 〜最初の大学〜
2011年4月。大阪府に住んでいた僕は、近所?(京都にある)の国立大学(○大学とする)に落ちて、
同じく近所?(京都にある)にある私立大学(△大学)に通うことになった。
しかし、当時の心境の中で、「どうしてこんなところに来たんだろう・・・」という気持ちがあって、
あまり充実した学生生活を送ることができなかった。そこで、「仮面浪人をしよう」という考えに至った。

第1章 〜仮面浪人〜
最初のオリエンテーションで、教授らしき人から「○大(第一志望の大学)でさえ就職に苦労しているんだから、
君たちは△大学なんだからもっと苦労をするだろう。」と言われたことから、第一志望の大学に再びコンプレックスが出てきた。
そこで、「講義と受験勉強を並行して頑張ろう!」と意気込むも、夏ぐらいでどっちつかずになってしまった。
結局、春学期の大学の成績で6単位も落としていて、このままではマズいと思い仮面浪人を諦めることになった。


第2章 〜バイトとサークル〜
夏休みを過ぎたあたりには、すでに仮面浪人をする意欲が失われていた。しかし、大学院で第一志望の大学に
進学するという夢を持っていたので、この時期から講義も比較的真面目に受けるようになった。さらに、
自分の知識を深める目的で、基本情報技術者試験の勉強もするようになった。(情報系の学生だったので)
この頃には、地元の塾でアルバイト勤務もしていた。生徒には第一志望の大学に行ってもらいたいと思って、
かなり熱心に指導をしたが、あまりにレベルの高いことを教えすぎて管理人の人から注意を受けたこともあった。
さらに、サークルに入ろうと思った。そのサークルで、自分の心に大きく傷がついた出来事があった。


先輩「君って受験勉強ロクにしなかったんだろ?」
俺「いや、結構頑張りましたよ。」
先輩「半年あれば△大学なんて受かるでしょ」
俺「そんなことないです。僕の通ってた高校からだと高1から勉強していてもほとんどが落ちます。」
先輩「△大学を第一志望したの?」
俺「いや、第一志望はここじゃなかったので・・・」
先輩「どこ受けたの?」
俺「○大です」
先輩「浪人すればよかったのに」
俺「浪人しましたよ」
先輩「知らなかった」
俺「あんまり言いたくなかったんです」

当時の僕は仮面浪人を諦めていたので、「大学院では絶対に○大に行く!」という決意をした。
それと同時に、「今の大学を脱出したい」という謎の感情が高まってきた。


第3章 〜三年次編入〜

○大の大学院に進学するにはどうすればいいかというのを知るために、○大のHPをいろいろ見ていた。
そのとき偶然、三年次編入という存在を知った。
同じ分野の編入試験は仮面浪人とは違い、編入対策が講義の勉強にもつながるので、編入は最適だと考えた。

「これなら三年次から行くことができる!!」と思ったのも束の間・・・

募集要項「他大学からの3年次編入は不可」

一瞬大喜びしたものの、その後すぐに落胆をしたが、○大以外にも編入を募集しているところがないか調べた。
その結果、有名国立の中では、A大学 B大学 C大学(イニシャルではない) などが募集をしていることがわかった。
○大でも文系では一部募集をしていたが、専門分野を変えたくなかったので、○大受験は見送ることにした。
僕の心の中で「A大学やB大学、C大学に行けるチャンスがある!」と考え、それらの大学のHPを見ることにした。

第4章 〜A大学のHP〜
A大学のHPを見て僕は「あること」に驚きを隠せなかった。それは研究室の多さだった。
そこは、研究室がざっと見ただけでも30個以上あり、当時自分が在籍していた学科の6個より数倍レベルで規模が大きかった。
学生数が違うのでは?と思ったものの、1学年の学生数はほとんど変わらなかった。これは本当にカルチャーショックだった。
A大学が編入試験では最初の日程にあるので、「この大学をとりあえず第一志望にしよう」と考えた。


第5章 〜生徒を見下した教員〜
僕はその大学の「電気の基礎」という講義を取ることにした。
その講義のオリエンテーションで教員Dが話した内容は鮮明に覚えている。

教員D「君たちはどんなに頑張っても技術者で国立大の土台には立てない。君たちには無理。」
教員D「君たちは勉強なんてしなくてもコミュニケーションだけ磨いていればいいよ。これがどういう意味かわかるよね?」
教員D「国立大に行けなかった君たちには技術者は向いていない」

こういったことを聞かされて腹が立たない人こそ異常だと思う。当然僕は憤慨し履修を取り消して、その教員Dに対して
不適切だという紙を出した。残念ながら返事はなかったが・・・。
この件以降、ますます編入してでも大学を辞めたいという気持ちになった。


第6章 〜基本情報技術者試験〜
基本情報技術者試験は午前の過去問を徹底的にやれば余裕で合格できた。
午後はC言語を選択した。ちなみに当時の経産省は「ただちに」の人でした。


第7章 〜編入対策〜
実は編入試験対策で通信講座をやっていました。線形代数と解析はかなり役に立った。
A大学は過去問もしっかり公開されているので、A大学の過去問もしっかりやった。
△大学では、まだアルゴリズムとデータ構造をやっていなかったので、ここは独学で頑張った。
その後、7月にA大学を受験して、受験後秋葉原でフィギュアを買ったのは良い思い出です。

第8章 〜A大学の合格〜
A大学の編入試験に合格したので、△大学に在籍するのは後半年間となった。
そう考えると名残惜しくなって、複雑な思いになったりした。
半年間というものは早いもので、3月に△大学に退学届を出すことになった。
このとき、大きな問題が発生してしまった。

A大学「3月26日までに在籍している大学を退学して証明書と成績証明書を届けること」
△大学「3月31日以外の日に退学することは認めない。成績証明書は4月以降に発行する。」

まず、A大学に問い合わせ3月26日までには間に合わないと言うと、
A大学「現在在籍している大学に手続き中というものを書いてもらってください」と言われた。
つぎに△大学に問い合わせると、
「退学手続き中は今でも出せるが、成績証明書は4月以降」と言われた。
その後、A大学に再び成績証明書は4月以降じゃないと無理と伝えると、
「現在いる大学で証明になるものを送ってください」
と言われ、そして△大学にそれも伝えると、
「証明になるものは4月以降じゃないとダメ」
と言われた。
「どうすんだ俺・・・」と思い、両大学に
「たらい回しにされていてどうすればいいのか分からない」と伝えた結果、両大学で話し合いが行われた。
その結果、A大学では4月まで証明書関係は待ってくれることになり、△大学でも4月すぐに証明関係を発行
してくれることになった。さらに、3月の間は簡易の成績通知書でもおkになったので、それをA大学に送った。


第9章 〜地元を離れる・・・〜
とうとうA大学に行くことになった。地元を離れるのは寂しかったが、これを機に1人暮らしも悪くないなと思った。
↑で秋葉原と書いたことから推測できるかもしれないが、A大学は関東にある大学である。
4月上旬で、まだ18きっぷを1回分残していたので、18きっぷでそこまで向かうことにした。
10時間以上かかったが、鈍行列車で地元を去り別の地方へ向かうのは感慨深いものだった。


第10章 〜現在〜
現在はA大学に所属しております。A大学はかなり辺境だとか言われていますが、生活するにはそれなりに問題ないと思います。
大学院で○大に行く気持ちは次第に薄まってきて、最近ではこのままA大学の院に行こうかと思います。
ところで、自己紹介とかで「他大学から編入してきた」と言うと100%の確率でどこから来たの?って
聞かれます。毎回答えるのもめんどくさくなってしまいました。
A大学は△大学に比べて座学の講義が少なく実験・実習が多いので、あまり演習に慣れていない自分にとっては
かなり苦労していたりするのも事実です。ですが、徐々に実力が上がっているような気がします。
実験の発表で13人中3位を取ったり、第一志望の研究室に配属されたりと嬉しいことも多いです。
また、徐々に将来設計も固まってきました。今後も頑張っていきたいです。



〜あとがき〜
国立大学と私立大学の両方に通ったことのある人というのは珍しいのではないでしょうか。
両方の大学に長所・短所がありますが、ある意味でこれらを知り尽くした人といっても過言ではないかもです。
質問があれば、nanaisgoingtowait@mail.goo.ne.jp宛てにメールを送ってください!どんな内容でも大歓迎です!
バイトのことでも、大学のことでも、受験のことでも、基本情報のことでも何でも質問をしてください!
できる限り答えていきたいと思います。
では、見ていただきありがとうございました。